※タイトルに(癖)がついている新着は、クセ強い気味日記です。ご了承の上、お読みください※

 

 

 

 

 

前回の癖ブログで書いていた、

父親の足元にいた死神が父の頭側に移動致しました。

 

 

 

 

 

ブログに書いていた「(父に)伝えようかなー」と考えていたことは、間に合いませんでした。

 

 

 

兄も一度 帰宅した後で、

姉もわたしも急いで準備していた頃で、

最後は、父は 父が一番好きな母と、ふたりきりでした。

 

 

 

母から「お父さん 今 息止まったよ。看護師さんが”聞こえてるから子供さんから電話で声かけてあげてください”て。」と電話があり、

泣きながら「ありがとう」と何回も言いました。

 

 

 

それから 実家に戻って葬儀も行われましたが、

まずは、収骨のときに

頭の方でインプラントが焼けずに残っていたことがきっかけで、

母が「あ!お父さんのお金、これで消えたんや!高い高い歯、残ってるわ!」と骨壷に入れた後に

「他 ないやろな。科捜研の女みたい」と 収骨用の神聖な箸で、ツンツンガサガサやりだし、

それを見てみんなで爆笑してました。

 

 

 

 

火葬場の人が

「あの、それでは、合掌を、、、、」て、

笑みを押し殺しながら

「合掌、、、、」と言って、わたしらを大人しくさせてました。

 

 

 

 

 

その他、父のインプラントに消えたお金のこと等、

なかなか良い話がありますので、四十九日が済んだら書き残したいと思います。

 

 

 

 

 

で。

 

 

 

 

わたしの方は、昨日 44歳になりました。

 

 

 

 

 

「わたし誕生日やねん」と飲み屋で言う素直さはないのですが、

お恥ずかしながら 「誰か祝ってくれんかなー」 という願望は まだありました、去年までは。

 

 

 

 

 

今年は、

父が亡くなった直後、、というのは、たぶん関係なく。

 

 

 

 

わたしのことを心配して急遽 飲み会を開いてくださった人たちや

毎年欠かさず誕生日メッセージをくれる友達に

心から ありがたいな と感じた、

その”心から感謝する”て、

わたしたちが幼少期頃から耳にはしてきた当たり前みたいなことが、

実際には、

簡単なことではなくて

それなりに悲しみや怒りや悔しさなどを味わった先に手に入れることができる感情なのかもしれないです。

 

 

 

 

 

それを、たぶん、

わたしは知ることができたのかもしれないです。

 

 

 

 

 

それが

キリストかブッダか火の鳥かわからんけど、

いずれかの神様からの、

何よりもの壮大な誕生日プレゼントで、

生きてきた中で一番 いい誕生日を過ごしたと思っています。