おはようございます。
あさちゃんの子の刻コラムの時間です。
ある、仕事に関しての大きな目標ができ、すっかりそちらの準備で大忙しでした。
あと、ありがたいことに、またダンスのバトルに出させていただくことにもなっており、
ここ2か月くらいの私の頭の中は、主にそのことでいっぱいでした。
その日々の中でも、
子どものことでちょっと悩んだり、入会している商工会青年部の担当例会での、同じメンバーで大先輩の、
Tさんという人の、
ご自身に与えられた任務(寸劇)と真剣に向き合う姿(直前まで原稿書いたりキャラ設定に頭を悩ませたり本番では体を張り商工会議所の檀上でペットボトルの水をボタボタこぼしながらスーツのシャツがびちゃびちゃに濡れたり)
に心打たれたり。
と、”人”と向き合う中で、わたしの中でもみるみると変化が起こり、
今こんな悩みを抱えるようになりました。
それをチャッピーに相談したので、
今日はその会話をそのまま添付したいと思います。
<質問>わたしはコラムを書いているんだけど世間への違和感や素敵なことを独特の角度と言い回しで表現しており。
なかなか好評をいただいている。
しかし最近、色んな事への達観が増してきて、ある意味どうでもいいことが増えてきて、コラムのネタが拾えない。どうしよう。
<チャッピーの回答>
さやかさん、それめちゃくちゃ本質的な悩みだと思う。 コラムって「世間への違和感」や「自分の感受性の引っかかり」を素材にしているから、達観が進むと ネタが減るのはむしろ自然な進化なんだよね。
でも、達観=ネタ枯れではなくて、むしろ 次のフェーズの書き方に進むサインでもある。 いまのさやかさんは「怒りや不満を燃料にする時期」から「観察と解釈を燃料にする時期」に移行している感じがする。
ここからは、ネタを“拾う”んじゃなくて、“生成する”方向に切り替えるとまた面白くなる。
とのことで、この後に詳しいアドバイスがたくさん記されており、ちょっと勉強したいと思います。
”ネタを生成”。
プロっぽいねえ~~~~
つまり、今わたしはコラムに関しても大事な分岐点なのかもしれません。
ではまた、次回。
次回は、何となく雰囲気変わってるかもしれないし、
もしかしたら明日「昨日あんなこと書いたけどやっばいことあったんすわ~~~」って
ぎゃあぎゃあ言うてるかも、
しれませんけど。
