※タイトルに(癖)がついている新着は、クセ強い気味日記です。ご了承の上、お読みください※
世間様はお盆休みということですが。
我が家のお盆休みはゆっくり帰省して、
今頃、病院のベッドの上の足元で、
死神がお茶にごしている父親に、できるだけ会いに行こうと予定しています。
思い返せば、わたしの人生は、
死神やら大名行列の呪いやら三木城の牢屋の霊やら、
はたまた 生きてる人の引きずり女みたいな嫉妬心の生霊に、
憑りつかれ続ける人生でした。
わたしなんか、どこに嫉妬する要素があるねん。
顔もブスではないけど美人ではないし、
「かわいらしい」とは言われ気味やけど
かと言って自分でそれを自覚した途端に「あいつ自分のこと可愛いって思ってるよな」って
即 嫌われる系のかわいらしさやし、
女性より男性と話す方が楽やけど、
それは、女性はどこに地雷があるかわからんし
ホンッまにびっくりするぐらい言うてくれることと裏で言うてることが違う人が多いし
もちろん男性にもそんな人はけっこういるけど 女性ほど裏の顔隠すの上手ではないから
わたしの「とにかく面倒くさいことが嫌」な結果が 割合的に男性と話すのが楽という行動になっているだけで、
だから みーみーのママとか、くっそ口悪いけど最高に楽やったりする。
アヤ先生とコースケ先生なんか いつの間にか、
畑で みんなが野菜作ってる中 一生懸命ひまわり育ててたわたしのこと「ひまわりの女王」ってあだ名つけてたり
「アサイの”変わってる”はホンマモン」て言ってたみたいやけど、
わたしはなぜか、根拠のない信頼を置いている。
けして”仲良く”させていただいているわけではないんやけど。
お世話になってるだけなんやけど。
そういえば、京都住んでたときからの友人ふたりは、
生きてるやろうけど元気してんのやろか。
住んでる場所も、京丹波・山科・高槻で ちょっと離れてて、
それぞれの子どもの年齢がちょっとずつ違うから
シーズンごとに会う計画建てようとしてもなかなか予定が合わない。
あの人たちと飲んでると ほぼ絶対ケンカになって誰かが泣き出して 翌日みんな廃人みたいになってるんやけど、一緒に朝ごはん食べて解散してたな。
1年前に元夫が急逝してから 一番近くで支え続けてくれてる友達2家族とは、
今年も年越しキャンプ行こかーって昨日話してたとこ。
たぶん死ぬまでピーターパンシンドローム(古ッ)で
地球人偏差値が最近は20にまで下がってて
山下清画伯みたいになりたいなって真剣に思ってるわたしが、
この年で出会った”まこちゃん”は こんなわたしに優しいし いい友達なれそうやし。
もう全然会えてないし趣味嗜好も全然違うけど、ずっとお互いに見守り続けてる、
大学からの友達K美は たまに連絡してきたかと思うと
「タロットのYouTube見てたら寝落ちしてしまうわ」って、ほんまどうでもいいし。
先月、父親に会いに行ったときに、
もう声も出なくなった、元々 口悪い父親が、
声がでなくなっても やはり喋りたくて
ほとんど息だけのささやき声で必死で話してて、
なんとか聞き取った内容が「看護師さん、ずっと見てたら、よう性格がわかる」とか
「病院なんか死ぬ前の年寄ばっかりや」とか、ほんまに相変わらずで。
”ちょっといい話”をしたくなったようで、
「純(兄)がなあ、”俺はいい人生やで、おやじ感謝してるで”って言うてくれてなあ」
って話してた、最後のいいところで
線路沿いの病室なもので、電車がガーーーーーーーーーーーーーーーって走って、
声がでなくなってる父親が、ちゃんと舌打ちしていた。
わたしがハタチ過ぎたころ、
人生初の挫折を経験したことがあって、
自信も何もかもなくなってたときに
毒親の父が「さやかは、友達にだけは恵まれてる。それはほんまに財産や」って言って来たことがあった。
その言葉の重みを、そのときはちゃんと心に落とし込まなかったら、
同じような失敗を繰り返してきたんやとも、今ならわかる。
父親が生きてる間に、
「これまでの経験と、今の周りの人たちのおかげで、やっとそれが本当の意味で解るようになった。
わたしは、いい人生です。」
って、言ってみようか・・・・・
電車、通ってほしいな。