あさちゃんの子の刻コラムの時間です。

 

 

 

 

 

時は遡り、今から約3~4年前になるかなあ。

子供たちのダンスのレッスンの合間にアヤ先生と公園で話していた時に

ある話の流れでわたしがアヤ先生に言ったこと。

「わたしはこれまで、ロクな生き方してこなかったから、

これからちゃんと生きたいんです。」

 

 

 

 

 

その頃はアヤ先生に自分の姿をあまり見せていなかったのですが、

アヤ先生が目の奥で爆笑していたのは視えました。

そしてちょっとにニヤけながら「がんばってください」と言ったアヤ先生の背後に

ちょうど正午の太陽が重なっていて、

アヤ先生が一瞬、無事に服役を終え人生をやり直す人間を見送る看守官に見えました。

 

 

 

 

 

そのときから、こんな日がくることを、わたしは心のどこかで…もっと言ってしまえば魂は知っていたような気がします。

 

 

 

皆様ご存じの通り、

我が家は2年前ある日突然、完璧に養育費を絶たれ、

何なら元夫の差し押さえで血縁者である子供たちの貯金も3分の1も国税に持っていかれ、

地獄の章を楽しませていただきました。

 

 

 

 

その地獄が始まったときに、

国ではなく市を代表するうちの一人にびっくらこくような思いやりのない傲慢な言動をされ

元夫の急逝により深く傷ついた心臓を「高槻市」という看板で殴られたような体感でした。

関係者のみなさん、お友達のみなさん、せっかくわたしのコラム読んでくださっているのにごめんなさい。

名前は書かないし2年間我慢してたけどやっぱり「あれは酷いな」と思うので

わたしのやり方で傷を浄化させていただきます。

 

 

 

 

ということで話は次に進みます。

 

 

 

 

 

そりゃあ周りは勝手に色々と言うでしょう。

だってみんな心の底では大好きだから。

いつも元気で前向きな人がどうしようもない悲劇に合う物語が。

 

 

 

 

「実家に帰るらしいけど離れても友達やからな」て言われたときは

「え?わたし一言も誰にも実家戻るなんか言ってないし考えたこともないけど。

ていうかアンタわたしに酔った勢いで暴言並べてきたこと、わたしは忘れてへんぞ」て思いながら

その人の”優しい声かけてる自分”モードを立てることにして「ありがとうございます」とは言っといたけど。

 

 

 

 

 

 

 

子供の小学校の広報で、ある先生が好きな言葉として”人は苦境の時に本質が出る”って書いてて、

その先生のことも好きやったしその言葉を見て

「やっぱり深いところ見てる先生やな」と納得したことがあった。

ちなみに、わたしがどうしても信用できなかった先生は”新発売”て書いてて、

それもめちゃくちゃ納得した。

 

 

 

 

 

まあつまり、

元夫のことって、わたしの人生において、

こんなに”人”を知ることってこの先もないかもしらんし、

自分の弱さとも死ぬほど向き合ったし、

無くてはならない人やったんやろうな、と思います。

結局、何回もブログやコラムに書いちゃってるしな。笑

 

 

 

 

 

で。

(前置きがほんま長いな~、すみません、もっと勉強します)

で。

やっと冒頭の話とつながるんやけど、

「なんでアイツ(元夫の酒の飲みすぎによる勝手な死)の為にわたしが夢捨てなあかんねん生き方かえなあかんねん」

て、意地でも廃業しなかった。

そんな見苦しいかもしれない葛藤を背負っていたけど口に出したら

「もういいやん、子供の為にも就職し」って言われるのわかってるから、

年末キャンプの友達以外にはその気持ちを話すことはなかった。

 

 

 

そんなわたしにひとりだけ

「こんなときやからこそ、絶対にアトリエも図工教室も頑張ってほしい」と言ってきた人がいて、

それがアヤ先生なんです。

 

 

 

 

2年間、その言葉を何度思い出して自分を支え直してきたかわかりません。

 

 

 

ほかの人の優しさ支えもあり、

どうにかこうにか続けることができ、

おかげさまで確実にアトリエの収入も増えているし何より図工教室の生徒さんが増えていることが本当に嬉しいです。

ありがとうございます。

 

 

 

 

しかし、

子供3人を育てようと思ったら、なかなか追いつきません。

末っ子の靴下から5本とも指がでていたときは笑えたけど

長女がスポーツブラを毎日こっそり自分で手洗いしていたことに気づいたときに

「え、なんでそんなんしてんの?」と聞いたら「だってママ1枚しか買ってくれてないで」て言われた日、

わたしは自分を責めてめちゃくちゃ泣き、そして決意しました。

 

 

 

 

もちろん大人ですから廃業も考えました。

その上で、

「まだ他にやり方はある、夜も働けばいいだけのこと。」

子供たちを置いて出ることにずっとためらいがあったけど、

そこは子供たちの強さを信じてみることにしました。

子供たちの心に変化を感じたら友達や先生に相談する・を忘れずに。

 

 

 

 

 

そうして動き出した結果、

京都の観光ホテル寄りビジネスホテルと、深夜は高槻でのバイト、アトリエの仕事

というとんでもない新生活が始まったです。

 

 

 

 

 

でもこれが。

 

 

 

 

数年前にアヤ先生に言った「ちゃんと生きたい」自分を生きれてる快感がたまらないんすわ。

どっちもちゃんとした企業だから余計に。

社会に守られてる感がやばいっすわ。

 

 

 

 

仕事内容も、特にホテルのほうがもう面白さがやばくて、

昨日も友達に「イキイキしてるな」って言われました。

 

 

 

 

 

 

その話も、書きますわ。

 

 

 

 

ではまた、次回。